Saturday, December 31, 2005

明けましておめでとうございます。

日頃の行いが良いせいだとは思うが、快晴の元日を迎えることができた。この晴れた日を呼び込むまでに、3日間を要した末の傑作だ。

その間に私がやらなければならなかった事は、ただひたむきな除雪だ。除雪といっても、よく街中で目にするような、慣れない手つきと物腰で、困り顔ではあるけれども、私に言わせればじゃれついているとしか言えないような、そんな軟なものを想像していただいては困る。

当初の私は、突風のヒマラヤ山頂へ向かう、陽気なジャマイカ人のようなものだった。が、慣れというのはたいしたもので、最近のルーチンワークは、朝6時時点での風向きの確認と、吹き溜まり除去の段取りを何にも増して最優先させる生活が身についた。ありがたいことだと思っている。

そんな私を見るに見かねてか、常連さんが声をかけてくださった。
「奥志賀というところはねえ、4日に1日、抜けるような快晴になるんだよ。」

そうか、失敗だった。3日に1日だと思っていたのだ。
その常連さんは、30年間奥志賀に通い続けていらっしゃる。

Sunday, December 18, 2005

町を見渡せるところ


志賀高原のふもとに、信州中野という町がある。
長野からの直通バスで来ると、湯田中のオリンピック道路に入る手前だ。

志賀高原からこの中野へ降りてゆく山道の途中に、一箇所この町がとても
いい具合で見渡せるヴューポイントがある。胸のすく思いがするのだ。

5年前の自分であったなら、景色の良さに足元をすくわれる(?)ことなどありえなかった
はずだ。

そして、こうも思うのだ。

5年経った時の自分は、もしかしたらこんな発言をしているかもしれない。
"俺が死んだら、町全部を見下ろせる、景色のご機嫌なところに埋めてくれ”、、、。
(現実的な可能性としてはほとんどないとは思うが、、、。)

もし今ここで、だれかが隣に来て、”何をしてるんだい?”と尋ねられたとしたら、
きっとこんな風に答えるだろう。

”ちょっと景色を見ていただけです。”


そう言えば遠い昔に、中学校の先生から教わったことを思い出した。
海外旅行先でのウィンドウショッピングの時に、店員が近づいて来て困ったら、
こんな風に答えなさい。

”I'm just looking・・・・・・。”

確かそんな感じだったと思う。

Tuesday, December 13, 2005

脱力感と悦楽は紙一重?


寒気団の到来とやらで、ひたすら雪が降り続いている。本当に、容赦なく降り続く。
雪国育ちであることなど、何の手助けにもならないほどだ。

「ジタバタしても仕方ないな、、、、。」

人間だれしも、“妙に”あきらめのつく瞬間がある、、、、、と思う。そう、ちょっとスローモーションにかわる、あの瞬間のことだ。やけにリアルに耳元で物音が鳴り響くあの瞬間のことだ。

クルマでどこかにぶつかる瞬間、、、(経験が無いので解らないということにしておこう)。
高いところから落ちる瞬間、、、。
飛行機が離陸した瞬間、、、、(飛行機嫌いのせいか)。

ところで、
言うまでもないが、奥志賀というところは、自然発生的に集落に転じた場所ではない。
またただ単に、“良質の雪を長い間楽しめる”というだけの理由で、なにもこんなところに(失礼!)ホテルやスキー場を作ったとも考えにくい。

・・・・・・・・

スローライフって、もしかしたら、スローモーションになる、あの瞬間のことか?
あの瞬間を持続させることか?

そう考えてゆくと、表現の仕方の違いや、本人が自覚するしないの別はあるにせよ、昔から脱力感と悦楽は紙一重のところにあるってことを、先人たちは嗅覚で感じ取っていたのかも知れない。巷で言う、天才と何とかは紙一重ってやつで、、、。

それにしても、降るわ降るわ、、、。脱力感いっぱいで気持ちイイ。
みなさんにも是非味わっていただきたい、、クルマで事故れということではなくて。

Friday, December 09, 2005

夜明けに寄せる思ひ。


お気付きの方もおいでかと思うが、このブログの時間表示は日本時間を基準としていない。当の私も、時空に迷い込んだような、時々妙な気分になることがある。

もうかれこれ20年以上前の話になるが、ラジオ(この場合、”ラヂオ”の方が趣旨に合っている)の”極東放送(FEN)”という番組を聞くことを日課として、生活の空気みたいにして朝から晩まで楽しんでいた時期があった。


言わずと知れた、日本に在住する米軍の方々のための単なる慰安放送なのであるが、当時、語学の勉強に励む学生などがこぞって聞いていた様に記憶するが、今から思えば、私の場合、目的はまったくもって不純であった。が、あえてこの場で言及するのは避けておこう。

とにかく、言葉では表現しにくい、その”空気”みたいなものにある種の心地よさを感じていたのは確かだ。それは、居心地の良さと言い換えた方が解り易いかもしれない。あの独特の乾いた音で、思いを寄せる曲などが流れてきた日には、身分も省みず狂気(凶器?)したものだ。

当時は(今でもそうだが)、何かにつけ多感な時期であったこともあり、今思えばその度合いは必要以上であったかも知れないが、とにかく、その頃はそんな言葉はめったに使われなかったが、無意識のうちに「癒されて」いたことは確かであっただろう。

そんな些細なことの積み重ねが日常であり、日常を伴侶に生きてゆくことを選択した限り、それがたとえ、たいそう意味のある事でないにせよ、ある種の”心地よさ”にこだわってゆければ、それはそれで非難されるべきものではないなと、いささか逆説的ではあるが、そんな風に浅はかに結論づけてみることもある。もっとも、年に数回たらずのことだが、、、。

というわけで、あの頃の、あのほろ苦い感覚、今いずこに、、、、。と言うのが今回の主題であり、夜明け前の”時空の乱れ”の中で、その思いを馳せただけに過ぎない、少しアンソロジックになり過ぎたきらいはあるが、、、。

奥志賀で過ごす夜明け前は、こんなことにすらに心を奪われてしまっていけない。

”標高1600m”、、、、と謂フコト。    パート1。


解りづらい写真で申し訳ないが、ちょうど境界を定かにするように、雲が岩菅山に鉢巻きをかけ、頂点のほうだけが青空を背景に姿を現しているのがおわかりいただけるだろうか?
数日前のレストランからの光景だ。

時々ある現象なのだが、このラインが標高1600mなのだと、男のロマンをもって(?)勝手に解釈している。地形的な原因もあってのことなのだろうが、“標高1600m”なのだ。

さて、かつてどこかで聞いた話、見識の高い方の話だったと記憶しているが、大海原を闊歩するヴァイキング(海賊?)様たちが、その自らの経済活動を活性化させることを目的として新たなマーケットへ進出したときに、その活動の一環として、まずやらなければいけないことがある。それは、彼らの活力となる精気を養うための根城を築くために、一つの島に陣を取ることだ。格好の島を見定めて、そこへ住み着くのだ。

個人的に歴史というものが苦手で、その時代背景や、さらに彼らがどんな顔つきで、どんな服装やスタイルでやっていたのか、などと想像する作業は苦痛と疲労が伴うので止すことにするが、とにかく集団の、今風に言うところのライフスタイルだったのだと思う。

一旦上陸してから、最初に彼らがそこですることは、海抜1000mの地点を目指して移動することなのだそうだ。そこでは、強烈なリーダーシップを中心として居住が始まり、文化が形成されてゆくのだそうだ。

そう、海抜1000mは、海の戦士たちにとって、そのストレスの多い生活の中で、身心のバランスを保って暮らしてゆくに最適な地点であることを、本能的に、もしくは体験的に知っていたのだ。まずやらなければいけない事は、海抜1000mを目指すことなのだ。

それでは、標高1600mは?

というところで後日に続く、、、。

Tuesday, December 06, 2005

コンニャクとカイラク(快楽)

冬メニューの選定も大詰めに入ってきた。

シェフ手製のコンニャク(コンニャク玉から自製したもの)のサシミもその一つだ(見た目も十分に食い気をそそるものなのだが、写真を撮り忘れた)。

妙な感覚に襲われたの、1口食べたその時だ。

一口食べて、妙な感覚に浸り、早速に検証を始めた。ハードボイルド風に言うと、“答えを見つけるまでに、1ガロンのエスプレッソを飲み干さなければならなかった”。

時間の糸が途切れたように思い出した。若かりし頃(お決まりの注釈の出番だ、“今も充分若いが”)によく聞いていた、サイケデリックミュージックに浸った感覚だ。あの感覚と同じだ。

気持ちイイ、、、、。

当世、“癒し”だ何だのととりはやされ、理屈が一人歩きをはじめ、付け焼刃の小難しい話が先行してしまっている。やれ、薬膳だの、何だのと、、、、。

まずは、“気持ちイイ”ことから始めたい。

Saturday, December 03, 2005

初滑りの季節2


ご存知かとは思うが、奥志賀高原スキー場はスキーヤー専用のゲレンデだ。

嬉しいことに、この大きな限定条件があるにも関らず、
いろいろな方にお越しいただき、いろいろな過ごし方をしていただいている。

気分は70’S、ゲレンデは私のステージ、、、、。
求道者の面持ちで、”スキーは己への挑戦!!!”とばかりに、自然、怒り肩になってしまっている方、、、。
海外生活の長さの所以か、”冬のヴァカンスは、グラサン、Tシャツ、短パンから”を基本にしておられる方、、。
”予定の事は、お天道様に聞いてくれ”、昼夜に関らずラウンジでグラスを傾けられる方、、、。

まあ、多種多様な方がお見えで楽しくなるが、拝見させていただいるこの私にも、
一家言はある。

”イカしてるぜ、みんな。いつまでもスカしたままでいておくれ!!!”

一応、ホテルマンのつもりではいるが、こんな性格からか、明日からの食い扶持にはいつも悩んでいる。

Friday, December 02, 2005

スキー場開き、前夜。

奥志賀の雪はパウダースノーだ。
これは周知の事実であり、いまさらながらの話しである。

しかし、パウダースノーの、本当の降り方をご存知の方が何人いるだろうか。

それはもはや、“降る”などという言葉は全く見当違いであり、強いて言うならば、、、、、。

う~む、やっぱり見つからない。
ぜひとも、どなたかご教示いただきたい。

スキー場開きの前夜、今晩がまさにそんな様子だ。
まるで、ロマンチストになったような、その気にさせる夜だ。

Thursday, December 01, 2005

雪は積もれど、積年の思いは晴れず、、、、。




とてもイイ感じに雪が降っている。

経験のある方にはおわかりいただけると思うが、この時期にはこの時期の、一種独特の何ともいえない魅力があるのだ。
一種独特の“空気感”と言った方が正解だろうか、、、、。

私どものホテルやスキー場はとても良いですよ、雰囲気は“しっとり”、手塩にかけた料理はウマし、スタッフは満面の笑みで、ゆっくりとリラックスできますよ、、、などとのたまわっているのは、私だけに非ず、むしろ自分のところを悪く言い触れる 輩を探すのは楽ではない。内部的にはいざ知らず、、、、、。

ということは、実際の現物を存ぜぬ方々にとってみれば、いずこも同じく、みなさんを待ち受けているのは、どこもかしこも”ワンダフルワールド”ということになり、悪い予感のカケラすらも感じられない。

心の底から思うのだが、伝えることは難しいのだ。

原因は解っている。この“空気感”というものを伝えられないのだ。
その難しさを思う時、心は永遠の砂漠に向けて、無期限で開放される。

さらにこのジレンマは、憎たらしくも、その“空気”感の良さに比例する。

初滑りの季節


雪が積もり始めた、、、
夜半からの雪が、すっかりと風景を変えた。

つい先日までは、紅葉だったような気がする。
、、、、、気がするだけで、そんな風に季節は変わるものだ。と思うし、実際、その繰り返しだ


スキーシーズンの幕開けと終わりを、もっと祝ってやらなければいけない。
何故なら、人間のライフは、儀式と儀式で繋がっているからだ。もっと感謝して、もっと楽しまなければいけない。

、、、、、、豊かな暮らし。
気がするだけで通り過ぎる季節の中で、スキーヤーとして豊かな暮らしを送る。

さあ、窓辺にもパウダースノーが舞い積もってきた。

調理場の”ズンドウ”


調理場の寸胴なべがフル稼働し始めた。
スープなどをとるときに使う、あの胴長のなべの事だ。

”ズンドウ”はその厨房の動脈であり、そして、ズンドウからの湯気が、この調理場を支配する“オキテ”なのであり、それを施行するのはここの主だ。

私が、ここの主のお手伝いを出きる事と言えば、寝酒をともにするくらいのことしかない。
もっとも、“寝酒”の効にあやかっているのは私だけで、ここの主は、その巨体に似合わず、番犬のように昼夜このズンドウに忠誠を誓わなければならない。

いろいろな世の中のことが、あまりに複雑化し過ぎている。正しいものを正しく伝えられれば、それが正しいことだと、思う。