Friday, December 09, 2005

夜明けに寄せる思ひ。


お気付きの方もおいでかと思うが、このブログの時間表示は日本時間を基準としていない。当の私も、時空に迷い込んだような、時々妙な気分になることがある。

もうかれこれ20年以上前の話になるが、ラジオ(この場合、”ラヂオ”の方が趣旨に合っている)の”極東放送(FEN)”という番組を聞くことを日課として、生活の空気みたいにして朝から晩まで楽しんでいた時期があった。


言わずと知れた、日本に在住する米軍の方々のための単なる慰安放送なのであるが、当時、語学の勉強に励む学生などがこぞって聞いていた様に記憶するが、今から思えば、私の場合、目的はまったくもって不純であった。が、あえてこの場で言及するのは避けておこう。

とにかく、言葉では表現しにくい、その”空気”みたいなものにある種の心地よさを感じていたのは確かだ。それは、居心地の良さと言い換えた方が解り易いかもしれない。あの独特の乾いた音で、思いを寄せる曲などが流れてきた日には、身分も省みず狂気(凶器?)したものだ。

当時は(今でもそうだが)、何かにつけ多感な時期であったこともあり、今思えばその度合いは必要以上であったかも知れないが、とにかく、その頃はそんな言葉はめったに使われなかったが、無意識のうちに「癒されて」いたことは確かであっただろう。

そんな些細なことの積み重ねが日常であり、日常を伴侶に生きてゆくことを選択した限り、それがたとえ、たいそう意味のある事でないにせよ、ある種の”心地よさ”にこだわってゆければ、それはそれで非難されるべきものではないなと、いささか逆説的ではあるが、そんな風に浅はかに結論づけてみることもある。もっとも、年に数回たらずのことだが、、、。

というわけで、あの頃の、あのほろ苦い感覚、今いずこに、、、、。と言うのが今回の主題であり、夜明け前の”時空の乱れ”の中で、その思いを馳せただけに過ぎない、少しアンソロジックになり過ぎたきらいはあるが、、、。

奥志賀で過ごす夜明け前は、こんなことにすらに心を奪われてしまっていけない。

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