奥志賀のステータス?
年始という時期は普段めったにない事も起こるもので、とある著名な社長が奥様を連れ立って、
わざわざ私を訪ねてきていただいて恐縮した。
志賀高原の歴史を紐解くと必ずやお名前の出る方で、先代の時から地元住民とは違ったスタンスで志賀高原に多大な貢献をなされてきた方だ。
今年の雪の多さや、また地域によっては雪害まで発生してしまっていること、さらに世間のそういったムードの影響を非常に受け易い地域であること、などの話題から始まり、リゾート地への移動時間の話になった。
ご想像のとおり、都心から奥志賀へ来るための移動時間を含めた労力と、北海道や、さらにはサイパン(比較の対象としての疑問はあるが)などの海外へのそれとの比較の話だ。話を遠回りさせる必要もなく、「なぜ奥志賀なのか?」という段になった。
やはり私などの俗化された大衆人間とは薀蓄が違うことを、まざまざと見せ付けられる結果となるのだが、氏の口元からは、まさか出てはこないだろうと思っていた言葉がいとも簡単に、臆面もなく発せられた。
「ステータスでしょう。」
しかしこれを解釈するにあたって、見逃してはならない重要な点がある。そう、氏は私などの庶民とはお育ちが違うのだ。それも、おそらくは圧倒的にだ。つまり、”ステータス”という表現を発するときの、立脚点が異なるのだ。
高揚をもって次回へ続く、、、、。
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